2014年1月 7日 (火)

うつくしき

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過ぎてゆく明日が今日を追い越してうつくしきひと深くさやかに

                                                         

 

美保代がもし女の子ができたらさやかという名はどうですかと。

授かることのない子の名を抱きしめて美保代は逝く。

そんな話しだった、読んだ時に「さやか」という名に特別な印象はもたなかった。

今、その名にこめられた想いをおもう。

この後の人生をさやかに生きたいと思うばかりだ。

2014年1月 5日 (日)

くねる

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あいうえおあなたにどれを贈ろうか曲がりくねったひらがな愛し

                           

 

毎日なにげなく使っている「ひらがな」

この丸みを帯びた文字の羅列に魅了させる。

わたしが覚えたはじめてのひらがなはどの文字だったのだろう。

たいせつなひとにそっとなにかを告げるとき、わたしはきっと

ひらがなで伝えるだろう。

 

2013年12月28日 (土)

ひたすら

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 風見鶏、青磁のそらにはばたけば南へ向かいひたすらに飛ぶ

                              

 

一心に突き進もうとするときが何度かあった。

なりふりかまわずただ、進むことを望み、いいも悪いも他人の意見も

なにも耳にはいらなかった。

今おなじことができるかといえば、答えはNOだ。

じぶんの思いだけを純粋に信じ、じぶんが信じるものを

おなじように信じるには力がいるのだ。

そんなひたむきな頃があったことを愛おしく思う。

 

                                                               

 

2013年11月17日 (日)

無色な

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   木枯らしがいろどり集めさらいます頬を伝うは無色な涙

                                                                   

                                                                

些細な出来事がわたしのこころを揺さぶった。

それは幼子の言動だった。

なにが彼女をそうさせたのかはわからない。

彼女自身にもわからないだろう。

けれど激しく強く、狂おしいほどに求められ、わたしは動揺した。

「こどもの言うことだから」とは決して思わない。

あんなに真っ直ぐに、声高らかにひとを求めることができるのは

たしかに幼いこどもの特権かもしれないが。

こころに秘めるぶんには大人だってひとを真っ直ぐに恋うてもいいはずだ。

情熱というものがわたしのなかにまだ燻っているだろうか。

2013年11月11日 (月)

するり

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 すりぬける閉じた指先そのすきま大切なものさらさらと逝く

 

 

相手を思い考え行動しても、それらが裏目にでてしまうことがある。

心配する気持ちも行きすぎれば相手の負担になるのだ。

なにも心配されないのは寂しい、心配されすぎるのは迷惑とは

なんともわがままな話しではないか。

そして「見守る」ことのなんと難しいことか。

なにもせず相手が本当に困り助けを求めてくるまで、知らぬふりをする。

それこそが相手を思いやるということなのかもしれない。

 

2013年11月 5日 (火)

アイスクリーム

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ぐしゃぐしゃに丸めたあすを捨てないで溶けないきみのアイスクリーム

                               


                                                            

希望を見失うときがある。

もうダメだと絶望してみたりもするが、なにも変わらない。

結局はじぶんでどうにかして切り抜けるしかないのだ。

それに簡単にひとは絶望もできないし、そんな気持ちも続かない。

これはわたしが健康だからそう感じるのだろう。

世の中にはいろいろな悩みや苦しみを抱えこうした苦しみを

何度も味わったひともいるはずだ。

わたしは絶望したことがない、結局はそういうことなのだと思う。

2013年10月31日 (木)

色めいて

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  街中をクレヨンでぬり準備する赤もいいけどここは黄色で

 

 

家から駅までの数百メートルのあいだ、この季節になると銀杏の木を

見上げることが多くなる。

葉はそこそこに色づき日ごとに寒くなる朝晩をおもいやる。

この葉がすべて落ちるころ、今度はあちこちでクリスマスのディスプレイが

見られるようになる。

わたしの仕事では10月からすでにクリスマスモードだ。

今年こそは丸いケーキが買いたいと葉っぱがすくなくなった銀杏をみるたびに思う。

 

2013年10月30日 (水)

交わり

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 ふわふわのひだまりいれて泡立てる夏が交ってはじけて飛んだ

 

 

季節の変わり目について考える。

もう夏も終わったのだなと思う瞬間がある。

蝉の声が聴こえなくなったり、夜風に涼しさがまぎれていたりするときだ。

けれどそう思った翌日には夏の暑さがぶり返したりする。

それを何度となく、くり返し、くり返し、ようやく秋が訪れる。

それは秋なのに夏をひきずったものであったりするのだ。

わたしはそんな中途半端な季節の変わり目が好きだったりする。

 

過去形

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好きでした、紅いもみじを高く振りわかれを告げてはらりと散った

                               

                                                                         

秋はいろいろなことを深く考えるのに適している。

深く考えすぎて、寒々とした空気にやや押し流される傾向にある。

夏の熱も醒めやって我にかえることの多さよ。

半袖のTシャツやソーダー水や海や日焼けのあとに浮かれられる時間の

なんと少ないことか。

毛布に恋する、冬はもうすぐそこまできているのだから。

 

2013年10月29日 (火)

青を解く

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 ひだまりで青い5ページ紐解けば2行でころびきみは泣けない

                                                            

たいせつな人から日記をもらったことがある。

わたしが悲しまないように。強くいられるように。

日記はひとにみせるためのものではないから暗号のように難解で

決して読み解くことはできない。

きっと本人にだってそんな若かりしころの思いを紐解くことはできないだろう。

ひとの記憶ほどあてにならないものはないのだから。

悪い出来事も月日が経てば思いでとなってしまう。

それでいいのだと今なら思える。

忘れてしまったわけではない、ただ記憶の奥底にしまってあるだけなのだから。

 

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