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猫の目が微笑むような夜が来てあなたが抱いた月を見あげる
夜というのはあたたかい。
一日の疲れも嫌なことも取り除いてくれる、わたしにとっては癒しの時間だ。
以前は夜になるとマイナスなことばかり考えることもあった。
今は眠れぬ夜も、眠りたくない夜も、自然と寝てしまう夜もすべてを委ねるように
リラックスすることができる。
そんな時間がとてもいとおしい。
襟足でさくらの開花予想するマフラーはずし風邪ひく予報士
まだまだこれから雪が降ってもおかしくないというのに、
もうすでに春を待ちわびている。
格別、春が好き、寒いのは嫌いということはないのだが
まだ寒さが残る、でもそんな中でも緑の息づかいを感じる春が
とても恋しいのだ。
毎年、春はおおいぬふぐりの青い花を見つけた日から始まる。
泣きはらし睫毛にしずくつけたまま口ずさむのは勇気の歌です
こどもが風邪をひいた。
咳と熱と鼻水でとても辛そうである。
それでも遊びたいと言っては北風がびゅーびゅー吹く日に
外にでたいと言い張り親に甘えてみせる。
いつもなら怒られるが今なら怒られないのを察知しているのだろう。
抱っこをせがんでは狸寝入りをして笑わせている。
こうして少しずつ強くなっていくのだ。
いっしょに勇気の歌を歌おうじゃないか。
ゆきの日に産まれたきみが連れてきた春の野原でつぼみがひらく
あしたは姪の4才の誕生日だ。
ほんとうに、小さく小さく産まれた彼女は今もやはり小さいが
顔つきが大人びてきた。
母親と対等にけんかをし、怒られれば屁理屈をこねるまでになった。
笑顔の似合う、お日さまのようなあたたかな子に育ってほしい。
きみの手がひだまり集めとろけだすメープルシロップそのものですね
ホットケーキを久しぶりに食べた。
バターをのせシロップをかけたそれはあまく、まるでこどものような匂いがした。
なぜこどもというのはあんなにあまい匂いがするのだろう。
あまいものを食べるから?
なんと言えばいいのだろう、身体中があまくできているような気がするのだ。
それも今だけの話しなのだろう。
ほらごらん炭酸水の泡たちがからだを巡り、やがて星になる
炭酸水片手に生まれ変わる。
何度も挫折したが、決心をした。
星になるまえに、ゆっくりと細胞を、すべてを、いれかえるのだ。
ゆっくりと確実に。
寒空に手袋かたっぽ落としてる きつねの家に届けてきます
手袋が欲しいと思っているがなかなか気にいたものに出会えず
がっかりしながらも、どこかでほっとしている。
本当に気にいったものとの出会いは運命だと思う。
だからひとたび気にいってしまえば、高かろうがなんだろうが買いたい衝動を
抑えることができなくなるのではないかと。
反対にどんなに気にいってもあきらめざるえないのも、また運命。
今使っている手袋に穴でもあいたら本気で探す旅にでよう。
薄暗い暁のなか七草をこまかく刻む春を呼びつつ
七草粥が好きである。
寒い大地でいち早く育つものたちを、食すような気がして
どんなに寒くても、これから雪が降ろうとも、春の声がするのだ。
それは巡る季節の力、生命力といっても過言ではないだろう。
未来に夢がもてるから、今が辛くても耐えられるのと同じだ。
終わらない冬はない、春はもうすぐそこまできているはずだから。
重箱で溺れかけてる黒豆を救出にむかう朝だよろこべ
お正月を迎え『おめでとうございます』をともに言いあい
黒豆をつまむことができるのはとても幸せなことだと思う。
そしてもう少しでわたしはひとつ歳をとる。
目元や手元をみれば、まるで下手な黒豆のようにしわが目立つようになった。
ゆっくりと、手間を惜しまずに歳を重ねることを面倒と感じていてはいけないと
思いながら、つい面倒で。。。
いまだ黒豆を煮たことがないが、上手な黒豆のような歳を重ねたい。
コチコチと終わりが終わりはじまったみんなで見つめせーの、おめでとう
すっかりご無沙汰してしまいました。
パソコンも開けない日が多くなり、あれよあれよという間に新年です。
あらためて、おめでとうございます。
少しずつでも再開したいと考え、また私事の理由によりどうやら
今年は波乱含みの予感がするため、短歌や詩を心の拠り所に
できたらいいと思っています。
何卒、今年も宜しくお願いいたします。
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