疲れたと膝を抱えるきみのそば あしたのそらの尻尾を掴む
ひとがだれかを救えるなどということがあるのだろうか。
ずっとわたしは助けられる=救えるなどと思っていた。
けれどその思いは今はない。
ほんの少しの手助けならできるかもしれない。
けれどそれは本当に些細な手助けであってだれかを救うことは
できないと今は考えている。
救えるのはそのひと自身しかないのだと。
まわりができるのはそのためにそのひとに手を差し出すことくらいだと。
しあわせは与えられて得ることはできない。
自分自身で培ってこそのものなのだと思う。
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