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雨粒をあつめて海をつくります泣けない魚が溺れています
泣くという行為には浄化作用があるのだろう。
泣いてすっきりしたとか、気持ちの整理がついたとかよく聞く話だ。
泣かない生き物、涙を流さない生き物はいるのだろうか?
きっといるのだろう。
涙は流さなくても感情がある生き物ならほかの方法で泣いているのだろう。
泣き方は十人十色、涙を流さずとも泣く人もいると思うこの頃。
たしかです不確かなのはたしかです雨粒ほどにたしかなのです
真実と言われることや、嘘がないであろう言葉をひとは欲しがる。
安心したいがために。
けれどそこにどれだけの意味があるのだろう。
本当のことなんて誰にもわかりはしないのに。
じぶん中の『確かなこと』『嘘のない』気持ちさえわからないのに
他人のことは尚更わかりようがない。
わからないから確かさが欲しくなるのだろう。
けれど今降っている雨のようにひとの思いや気持ちは姿を変える。
たしかさも不確かさもなにもかも飲み込んで雨が降る。
不機嫌なジャングルジムに傘さして水たまりにジャンプする夏
これから梅雨がくるというのに夏が待ち切れず夢想する。
深い緑や濃い影たちを。
ひっそりと音もなく、ただ照りつけるあの暑さを。
夏は生き物すべてがその姿を曝けだすようで力強さと哀しさの
両方を兼ね備えた季節だ。
今年の夏、大きくジャンプすることができるだろうか。
もしもしと受話器を耳にあてたはず、間違えました潮騒でした
来ないはずの電話の音や聴こえるはずのない人の声を聴く、
そんな経験はないだろうか?
名を呼ばれた気がして振り返ったり、着信音を聴いたような気がして
携帯をのぞいたり、そんなことがわたしはよくある。
たいていは弱っている時に限る。
生活そのものに追われ忙しいときにはそんなことを思う暇もなかったりする。
この3月、4月はまさしくそんな忙しい日々だった。
たまには懐かしい人の声を聴いてみたいものだと思うゆとりがようやくできた。
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